文化習慣に回帰するお茶づくり。井手製茶工場・井手博崇が語る「急須で淹れる時間」の価値

 現代の日本において、急須でお茶を淹れる習慣は減少傾向にあります。効率化が優先される時代の中で、あえて手間のかかる急須で淹れるお茶にこだわり、昔ながらの製法で作り続ける 茶農家があります。

福岡県八女市で高級茶「八女茶」を栽培・加工・販売まで一貫して手がける有限会社井手製茶工場です。

本記事では、家業の危機に直面し、四代目として戻ってきた井手博崇氏にインタビューを実施しました。効率化の波に逆らい、本質的な価値を追求し続ける同社の戦略と経営哲学を紐解きます。

なぜこの企業に注目すべきか

 多くの企業が効率化にシフトする中、井手製茶工場は栽培から加工、販売までを自社で完結させる「六次産業化」を二代目(祖父)の代から開始し、現在100%自社販売を確立しています。

業界の多くが「深蒸し茶」へ移行するなか、同社はあえて手間のかかる「浅蒸し(普通蒸し)」を徹底しています。

縮小する市場において、独自のポジションを築き文化を継承しようとする戦略は、多くのビジネスパーソンにとって大きなヒントとなるはずです。

会社概要

会社名:有限会社 井手製茶工場
公式サイト:https://ideseicha.co.jp
代表取締役:井手研治(本インタビュー対象:四代目 井手博崇)
設立:祖父(二代目)の代より六次産業化に着手
事業内容:福岡県八女市における八女茶の栽培、加工、直販事業

創業ストーリー

なぜこの事業を始めたのか

井手博崇氏にとって、茶畑は幼少期からの「日常」でした。学生時代は機械やシステム系の分野に関心を持ち、家業とは別の道に進んでいました。

しかし、三代目である父から茶業界のお茶離れと衰退 を聞かされた時、博崇氏の心は動きました。

自分が育ってきた日常の風景がなくなることに危機感を覚え、なんとか茶業 を立て直したいという思いから、四代目として戻る決意を固めました。マイナスな状況からのスタートでしたが、「来る時が来た」という覚悟を持っての決断でした。

創業時(承継時)の苦労

家業に入って最初に直面したのは、現状把握の難しさでした。

売上や顧客データが整理されておらず、何から手をつけていいのか分からない状態でした。経営を立て直すためには業務の仕組み化が必要でしたが、限られた資金の中でいかに体制を再構築するかが大きな壁となりました。

また、精神的な苦労もありました。事業が傾いている中で息子に継がせることを、先代の父は手放しでは喜んでいませんでした。

言葉には出さずとも、息子が表に出すぎることを良しとしない空気があり、その中で改革を進めることには大きな葛藤が伴いました。

事業の特徴

競合との違い

現在のお茶業界は、生産農家、加工業者、販売店が分かれている分業制が主流です。

また、現代の消費者のニーズに合わせて、抽出時間が短く色鮮やかな「深蒸し茶」を作る業者が全体の多く を占めています。

しかし、井手製茶工場は周囲から「古い」と言われようとも、昔ながらの普通蒸しを貫いています。

強み

普通蒸し製法の最大の強みは、茶葉本来の香りと味わいを残せる点です。深蒸しは後の工程で強く火入れをして香りを付けるのが一般的ですが、井手製茶工場のお茶は普通蒸しであるため、茶葉そのものの自然な香りを活かすことができます。

また、新芽の形状を残したまま「針のように力のあるお茶」に仕上げる技術も同社ならではの強みです。

さらに、栽培から販売までの直販体制を敷いているため、中間マージンが発生せず、高品質な八女茶を卸売に近い適正価格で消費者に届けることができます。

提供価値

井手製茶工場が提供しているのは、単なる飲料ではありません。急須でお茶を淹れる1分から2分のゆとりです。

タイパやコスパがもてはやされる現代において、あえて手間や時間をかけることの豊かさ、誰かのために無事を祈って淹れるお茶という、日本人が本来持っていた文化的な価値を提供しています。

インタビューQ&A

Q. 家業を継ぐと決断した背景と、入社直後の苦労を教えてください。

A. もともと機械やシステム系が好きで別の道に進んでいましたが、実家のお茶がなくなるのは嫌だという思いが根底にありました。

決定打となったのは父から茶業界の不振 を聞かされたことです。入社して一番きつかったのは、売上や顧客の現状が全く分からなかったことと、世の中のお茶離れという現実でした。

仕組み化にはお金がかかる中、限られた資金でどう立て直すか毎日手探りでした。また、事業が傾いている状態だったため、父からは継ぐことを手放しで喜ばれず、その点でも難しさを感じました。

Q. 競合他社が「深蒸し」に移行する中、あえて「普通蒸し」にこだわる理由は何ですか。

A. 長く蒸す「深蒸し」は、色も良くすぐに出るため現代のニーズに合っています。

業界の多くがそちらにシフトしています。 私たちは、お茶本来の香りと、急須の中で葉っぱの状態に戻る美しい姿を大切にしています。だからこそ、新芽を丁寧に揉み込み、針のような形のお茶にする昔ながらの「普通蒸し」 を続けています。

同業者からは「古い作り方だ」と言われることもありますが、この味を求めてくれるお客様がいる限り、妥協するつもりはありません。

Q. お茶離れという業界全体の課題に対して、どのようなアプローチを行っていますか。

A. 幼稚園や企業に赴き、お茶の淹れ方教室を行っています。

子どもたちにお茶の色を聞くと「茶色」と答えたり、最初は苦くて全く飲めない子も増えています。しかし、1年間継続して関わると、味覚が育ち「美味しい」と言ってくれるようになります。

こうした地道な活動を続けないと、お茶離れはさらに進んでしまうという危機感を持っています。

現代は効率重視でお茶殻の処理すら面倒だと言われますが、日本茶や日本食を通して感じる「旨み」といった繊細な味覚の醸成の機会や急須で淹れる時間、家族でお茶を囲む空間の価値を伝えていきたいのです。

経営者の価値観

大切にしている考え:日常にあるお茶

博崇氏の価値観の根底には、幼少期の原体験があります。朝、慌ただしく学校へ行こうとすると、祖父母や先代が「お茶だけでも飲んでいきなさい。事故に遭うよ」と引き留めてお茶を淹れてくれたと言います。

「朝茶はその日の難逃れ」という言葉の通り、朝の1杯のお茶には、その日の無事を祈る相手への思いやりが込められています。この誰かを思って淹れる時間こそが、最も大切な心だと考えています。

経営哲学:本質を追求し、流行りに流されない

業界全体が効率や大量消費に傾く中で、井手製茶工場は品質へのこだわりを捨てません。

新しいお茶やカフェ展開といった領域は他社に任せ、自らは本質的に美味しいお茶を作り続ける道を選んでいます。除草剤を使わず手間暇をかけるなど、ごまかしのきかない栽培方法を貫く姿勢に、その哲学が表れています。

今後のビジョン

目指している未来

お茶離れと人口減少という避けられない未来に対し、自社の売上規模を追うのではなく「抗う」ことを使命としています。

1人でも多くの方に、急須でお茶を淹れる文化の良さを伝えていくことが最大の目標です。また、農業全体が抱える後継者不足や耕作放棄地の問題に対しても、自らが社会を経験してから戻ってきた立場として、熱意ある若者と農業をつなぐ懸け橋になりたいと考えています。

新しい挑戦

本質的な価値を追求するという点において、インバウンドなどの海外客の方が感度が高いと感じています。

大手企業が行うような海外への大量輸出ではなく、日本の文化や本質的な良さを再評価してくれる海外の層に向けて、お茶の心を発信していくことに大きな可能性を見出しています。

読者へのメッセージ

毎日忙しく働くビジネスパーソンの皆様にこそ、1日の中で1分から2分、急須でお茶を淹れる時間を作ってみていただきたいです。

それは単なる水分補給ではなく、自分の心を整え、誰かを思いやるための時間です。

私たちが丹精込めて作った昔ながらの八女茶を通して、皆様の日常に少しでも豊かなゆとりをお届けできれば幸いです。

まとめ

この記事のポイント
 ・効率化や大量生産の波に逆らい、茶葉本来の香りと味わいを引き出す昔ながらの「普通蒸し」製法を貫徹している。
 ・栽培から加工、販売までを自社で行う六次産業化により、高品質な製品を適正価格で提供する体制を構築。
 ・タイパ重視の現代に対し、お茶を淹れる時間のゆとりや、相手を思いやる「日本の文化」そのものを啓蒙し続けている。

どんな企業におすすめか 
・価格競争やトレンドの変化に悩み、自社のコアバリューを再定義したい企業
・伝統産業や家業の承継において、変えるべきものと守るべきものの判断に迷っている経営者 ・直販モデルや六次産業化を通じて、顧客と深く長期的な関係を築きたいビジネスパーソン

ここまで記事を読んでいただき、ありがとうございました。

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